独ソ戦 Russo-German War 

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zoom RSS Kovel' 救出作戦(1)

<<   作成日時 : 2005/11/11 23:51   >>

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(1) 1944年3月初旬の情勢
 1944年3月初旬ソ連軍は、Ukraine地域(ドイツ南方軍集団、A軍集団担当戦区)での1944年冬期攻勢作戦の総仕上げとして3つの攻勢作戦を開始しました。すでに弱体化し、予備兵力もほとんど持っていない南方軍集団とA軍集団はなすすべもなく戦線が崩壊していきました。
・第1Ukraine方面軍: Proskurov-Chernovtsy攻勢作戦(1944年3月4日〜4月17日)
・第2Ukraine方面軍: Uman'-Botoshany攻勢作戦(1944年3月5日〜4月17日)
・第3Ukraine方面軍: Bereznegovatoe-Snigirevka攻勢作戦(1944年3月6日〜3月18日)

 Belorussia地域(中央軍集団戦区)はソ連の攻勢作戦の重点がUkraine地域に置かれていたことと、ドイツ軍の防衛が比較的うまくいったことにより、Ukraine地域と比べて安定していました。しかし、中央軍集団と南方軍集団の軍集団境界地域であるPripiat沼沢地南方地域はドイツ軍の戦線が大きく西へ後退し、第2軍のハンガリー警備部隊が拠点防衛しているだけの連続した戦線のない不安定な地域でした。戦線はKovel'近郊で南方方向にようやく出現しています。

 つまり、3月初旬において中央軍集団と南方軍集団は、事実上分断されていたことになります。(この状況は本日添付した1944年3月4日付の戦況図を参照していただいた方がわかりやすいかもしれません。)

(2) Kovel'の位置
 Kovel'はPripiat沼沢地の西の出入り口付近にあります。東南東方面はKiev、北西方面はBrest、南方面はLemberg(L'vov)へ、それぞれKovel'より主要鉄道が走っています。さらに、Brestの西約140kmにはWarsawが位置しています。つまり、すぐそこはポーランド国境です。中央軍集団は巨大な突出部であり、喉元に位置するKovel'がソ連軍の手に落ちてしまうことは、中央軍集団全体が一気に崩壊してしまう危険がありました。そのため、Hitlerは南方軍集団戦区のTernopol'やBrody等の都市とともにKovel'を死守しなければならない都市として、要塞地(確地)に選定しました。この要塞地(確地)の戦略が1944年夏の中央軍集団の壊滅という悲劇に繋がっていくことになります。

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